グーグー5

2010年8月15日


今日は日本にいる友達から郵便が届きました。
「グーグーだって猫である」の5巻です!

彼女(日本にいる友達)は猫友だち。
なにかにつけ、近所の猫の写真を送ってくれたり、街で見つけた猫グッズを送ってれたり、とくに大島弓子先生の「グーグーだって猫である」の新刊が出ると必ず送ってくれます。
猫好きとはそうしたもの、秘密の心のよりどころなのです。

わたしも自分ちの猫のかわいい写真とかよその猫のかわいい写真とか送ったりします。
そしてさっそく送ってくれたグーグー5をよみました。


よんだことあります?これ。
読み進むにつれどんどん世話をする猫の数が増えて(現在は家にいる14匹に加え、外猫のケアもなさっている!)、どんどん大島先生の人生が猫たちの人生にコミットしていきます。

今回は「ラテちゃん」という仔猫の死と、「ソックス」という仔猫の事故死、それから仔猫をもらってくれた初期の担当の方の訃報にもふれてあります。
その5巻まで読んでようやく気が付きました。
このマンガは始まった当初から「死」が身近にあったんだ、ということに。

ふえ続ける猫=「死」と戦っているから、ということになりはしませんか。



ふえ続ける猫と、「死」が身近にある、といって思い出すのは石井桃子先生の「迷子の天使」です。

こちらでは念海夫人が戦時中の空襲で、生き埋めになった近隣のおばあさんの、"土からにょっきりきのこのように生えた"足を目撃するという、暴力による死のイメージが、はじめのほうで描かれます。

その後、念海家はほとんど猫捨て場となり猫はふえ続けます。それらの面倒を見るのはもちろん、主人公はさらに、隣の家(汚職をやっている政治家)のさみしい子供たち、その家のかまってもらえない高額なコリー犬、さらにはその友達(不遇な子供)と自分ちの子供、それら「迷子たち」にもかかわっていきます。




グーグーに話を戻すと、


この前、マーストリヒトの庭で1日をすごす老猫Poesjeの絵を描いたり、
大心のハラマキなど縫っていたときに亡くなった祖母のことを思い出していたことを考えました。

それらは大島先生ご自身の近くにあった死とはまた違い、べつに共通点などありませんが、
私に見ることができたのは同じくそこにあった、描かれた猫、です。描き続けられる猫、といったものです。

そういうものがあるということが好きなのです。


ついでにいうと、先日私は9月に1週間ほど留守にするために、私の飼い猫の世話をしてくれる友達を捜していました。
方々に電話をかけると「いいよー」と快諾してくれた友達が3人もいました。

アーティストは、ヒマそうに見えてもたいてい常に何かプロジェクトを抱えているもので、じつはけっこう忙しく働いている人たちで、
こういう、社会生活に於いてはとるに足らない小さい生き物のためにそんな手間をとってくれる人というのは本当にありがたいです。


では。


キャットシッター探し。
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と、スヌーピー。

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by arttrace | 2010-08-17 03:06 | ART TRACE


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